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西陣業界では。。。

2011/06/22 20:20

 

 西陣業界では正直者はバカを見ます。。。f(^一^;)

 

問屋スジが納めた本数をごまかそうとしたり。。。

 

この道具が無くなるよと言って、売りつける機料品屋。。。

 

糸をくすねる織屋。。。

 

一体なんでこんな業界になったんだ。。。(T_T)

 

なぁなぁの商習慣を見なおさなければならない時期が来ている。。。

 

もう遅いかもしれないが。。。f(^一^;)

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職人を登録するらしい

2011/06/08 07:40

 

 今朝のニュースでやっていたのですが、西陣織工業組合が昨今の業界の低迷で若い人材の流出を鑑み、西陣織の職人を登録して人材の流出を食い止めようとするらしいです( ´ ▽ ` )ノ 
うーん、この発想は職人を使う側の発想やな~f^_^;) 
だって、若い人材が出しているのは、貰うお金だけでは食べていけないからですから…f^_^;) 
織物が好きなのに他の仕事をしなければならない若い人が多いですf^_^;) 
このままでは人がおらんなるf^_^;)

 

もちろん、人口が少なくなるこの日本で需要を高めていくのにも限界があるだろうし、供給が過多の状況が安い賃金になっている原因だと思うけど、

 

なにか、行動をしないとね(^-^)

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西陣織を続けることは難しい。。。

2011/05/06 15:55

 

平成2年のバブル崩壊以来、西陣織の業界全体の売上は右肩下がりです。。。

 

その後の、展示会商法の問題や無料着付け商法の問題で着物に対して、お客さんの不信感は募っています。。。

 

でも、こんな業界でも若い人が頑張ってなんとか次の世代へつないでいこうとしています。

 

でも、10年以内に団塊の世代の引退で、職人の数が激減します。。。

 

さて、なんとかつないでいけるよう、頑張りますよ(^-^)b

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職人をおしのけて。。。

2011/04/18 08:21

 

 職人を押しのけて。。。。

 

着物業界はブローカーがのさばっています。。。

 

日本製でない、中国製のものが溢れています。

 

たしかに、値段のことを考えると、中国製でないと買えないなぁといものがいっぱいあります。

 

でも、

 

この状況を打破して、職人がなんとかやっていけるようなビジネスモデルを構築していこうと思います。

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西陣織の歴史

2011/04/03 21:34

 

平安京が出来た頃の西陣の地域は、一条大路の北側にあり、未だ開発されていない地域でしたが、平安時代初期に織司という役所が置かれ、織物職人が集まる場所があったようです。

 

これが、西陣織の源流になるらしいです。

 

10世紀にもなると今の西陣の地域(一条大路以北地域)もだんだん開発されて平安京を越えて町が発展して行ったようです。

 

しかし、12世紀頃になると都の中心の内裏はだんだん荒廃していき、鎌倉時代以降になると「内野」と呼ばれるほどただの空き地となってしまったようです。

 

鎌倉時代には西陣の地域は「雲林(うじ)」と呼ばれ、貴族の邸宅や大寺院などがあり、町を形成していたと思われ、この人口密集地域が京の町の「上町」に発展していったと思われます。

 

南北朝時代には、北野神社を中心とした地域で商業活動が盛んに行われていました。鎌倉時代以降には「大舎人(おおねとり)」という織物技術集団がこの北野地域を中心に活動していて、中国の唐織にも劣らぬ織物を生産していたと思われます。その訳は、この地域には「七保」と呼ばれる自衛集団の一つのが北野の社の庇護の下、麹の独占販売していて、商業活動がとても盛んであったと思われます。

 

 

西陣の語源にもなった「応仁の乱」後,西陣は大きな変化を迎えます。乱の最中,堺や奈良,近江などに避難していた大舎人の織手職人が,西軍の陣地があった西陣地区に帰って座の復活に努め,やがて西陣の機業地へと発展させ、町家も復興させました。

 

安土桃山時代になると、海外からもたらされた製織技術や染色技法ともあいまって,小袖の新鮮な意匠や色彩が日常生活に華やぎと潤いをもたらしました。そうした服装品の供給源が西陣でありました。当時,西陣機業は21町に及び,京都はいうに及ばず日本を代表する高級織物生産地としての地位を確立していきました。

 

江戸時代になると、西陣の出身で五代将軍徳川綱吉の生母「桂昌院」が今宮神社や玄武神社の祭礼を整え復活させたり、西陣の織物産業を育成して隆盛させたり、応仁の乱で荒れ果てた京都の社寺(今宮、玄武、七保、北野、奈良の春日大社、晴明神社など)を復興、修復に努めて、南禅寺、永観堂、善峰寺、金蔵寺なども再建したそうです。桂昌院は江戸では評判が悪く、京都では産業の復興など経済繁栄の功績は大きく評判がとてもよかったそうです。

 

明治維新後、官服洋風化に伴う洋服生地の輸入増大で財政悪化に悩んでいた新政府も,洋服生地の国産化や国内繊維産業の強化を図り、京都府は,産業基立金の一部をもとに「西陣物産会社」を設立して、すべての染織業者を部門別会社に統合し,資金貸与を行うとともに,東京や大阪に出張所を設けての販売拡張,原料の共同購入や流通の合理化などに努めました。また,洋式の先進的織物技術であるジャカードを導入すべく、官費で西陣機業界の佐倉常七と井上伊兵衛らがフランスへ留学して、洋式織物の知識と技術を学び,新式織機を購入して帰国しました。もう一方,ウィーン万国博覧会に政府使節団の一員として参加した西陣の工芸家・伊達弥助らも,オーストリア式ジャカードなど新しい織物機械器具を持って帰国しました。

 

こうした人々の努力により,ジャカードとバッタンを中心とする織物技術が西陣に導入されました。そして西陣の一般の紋織物はほとんどジャカードによって製織されるほどになりました。そして、現在の西陣の分業化されたシステムが出来上がりました。

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ブログを始めるにあたりご挨拶とエールを!

2011/03/24 05:25

 

今日より、このブログで西陣織のことなどを綴っていきたいと思います。

 

よろしくお願いいたします。。

 

そして、今回の震災にあたり、

 

被災された方に今後の無事と平穏を心より願っています。

 

頑張って被災地で生き抜いていられる方に、

 

関西に住んでいる自分が頑張って、とはとても言えません。。。

 

自分も少しではありますが、行動をしています。。。

 

頑張ります!自分!

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